日付変更線はなぜ、いびつに曲がっている?誰が決めた?
「日付変更線」の正式名称は、国際日付変更線(こくさいひづけへんこうせん)です。
国際日付変更線は、日付の更新の矛盾を防ぐために地球の海上に設けられています。
ほぼ経度180度の地点を結ぶ理論上の線になります。
国際日付変更線はいつ誰が決めたのでしょうか。
国際日付変更線がいびつな理由を知っていれば子供に説明できそうです。
次に、国際日付変更線のこと・国際日付変更線はいつ誰が決めた・国際日付変更線がいびつな理由、などの紹介をします。
国際日付変更線
経度が15度異なる地域では、1時間だけ現地時刻が異なります。
旅行者が地球を15度移動するたびに時計の針を1時間ずつずらしていくと、世界を一周したときには日付が1日異なります。
以上から、国際日付変更線を西から東にまたぐ場合は日付を1日戻します。
国際日付変更線を東から西に跨ぐ場合は日付を1日進めます。
国際日付変更線を跨いだとたんに日付が変わります。
国際日付変更線を跨ぐと、前日に戻ったり、計算上一瞬で24時間後になります。
オセアニアの航空路線で経験することができますが、実際の飛行時間は6時間未満なのに到着日付が2日後になったり、逆に前日になったりします。
例えば、グアム発ホノルル行き航路では到着日付が前日になります。
国際日付変更線は、陸上の隣の町や村で日付が変わるなどの不便がないように、海上に設定されています。
次に、国際日付変更線はいつ誰が決めた・日付変更線がいびつな理由、などの紹介をします。
国際日付変更線はいつ誰が決めた
国際日付変更線はいつ誰が決めたのでしょうか。
国際日付変更線が決められたのは1884年です。
1884年に国際子午線会議がアメリカのワシントンで開催されました。
この会議で、経度180度の経線を日付変更線に設定することが決まりました。
1884年の国際子午線会議に参加したのは欧米の25ヶ国の代表者だとされています。
1884年に国際子午線会議では、国際日付変更線の設定と、経度0度の基準をイギリスのグリニッジ天文台を通る子午線とすることが決まりました。
1884年当時の海図はイギリス製が最も優れていて、世界の船の約7割がイギリス製の海図を使用していました。
イギリスの海図はグリニッジ子午線を基準としていたので、経度0度をグリニッジ子午線にすることに決まったようです。
グリニッジ子午線からちょうど東西の中間にあり、陸地の少ない太平洋上の経度180度の経線が国際日付変更線と決められました。
次に、国際日付変更線がいびつな理由、などの紹介をします。
国際日付変更線がいびつな理由
国際日付変更線は誰が決めたか子供に聞かれたら、1884年に国際子午線会議で決められたと答えてください。
太平洋上の国際日付変更線は直線ではありません。
太平洋上の国際日付変更線がいびつな理由は、国際日付変更線が陸地を通っていると混乱するからです。
国際日付変更線が陸地を通っていれば、陸地の国際日付変更線より東へ行くと前の日になって、西へ行くと次の日になります。
陸地の国際日付変更線を跨ぐだけで日付が変わるのは混乱の原因になります。
国際日付変更線は基本的には東経180度の経線と一致しますが、島などの陸地を通ると混乱が生じるので、これを避けるために陸地を通らないように変更がされています。
混乱を避けた事情から、日付変更線は直線ではなく、ジグザクやコの字型になっています。