教科書に聖徳太子の肖像画が載らなくなった理由

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教科書から聖徳太子という言葉が消えているようです。

聖徳太子とは厩戸王 (うまやどのおう)のことです。

厩戸王 (うまやどのおう)は厩戸皇子の後世の諡号になります。

厩戸王 (うまやどのおう)は用明天皇の第二皇子で飛鳥時代の皇族・政治家になります。

厩戸王 (うまやどのおう)の母は、欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女になります。

厩戸王 (うまやどのおう)の名の由来は、厩戸・前にて出生したことから命名されたとの伝説があります。

厩戸王 (うまやどのおう)は、推古天皇のもとで蘇我馬子と協調して政治を行いました。

 

次に、聖徳太子が教科書から消えた理由や別名称を紹介します。

 

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聖徳太子が消えた

 

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教科書から聖徳太子が消えています。

聖徳太子の別名には厩戸王 (うまやどのおう)・厩戸皇子・豊耳聡聖徳・豊聡耳法大王・法主王・東宮聖徳などがあります。

聖徳太子という名前でお札や切手などに使われてきたので聖徳太子という名前を見る機会が減るとちょっと寂しい気もしますね。

聖徳太子の肖像画は1930年(昭和5年)に、紙幣(日本銀行券)の絵柄として百円紙幣に初めて登場しました。

それから、千円紙幣・五千円紙幣・一万円紙幣にも紙幣の肖像として使われました。

聖徳太子は「お札の顔」として日本国民に広く認識されています。

高度成長期の昭和33年~昭和59年に発行された高額紙幣の代名詞として「聖徳太子」という言葉が使用されていました。

 

聖徳太子の呼び名

 

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教科書からは聖徳太子が厩戸王 (うまやどのおう)や厩戸皇子に変更されています。

厩戸王 (うまやどのおう)は厩戸皇子の後世の諡号になります。

厩戸王 (うまやどのおう)や厩戸皇子と呼ばれていますが定まった号などは無いので天皇号ではなく大王号・厩戸王である確率が高いとされる説が有力と考えられています。

聖徳太子の別名には厩戸王 や厩戸皇子だけでなく、豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)や上宮王(かみつみやおう)などもあります。

豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)や上宮王(かみつみやおう)などの別名は「聖徳太子伝私記」の中で引用されています。

706年頃に作られた「法起寺塔露盤銘」には上宮太子聖徳皇と記されています。

712年頃の「古事記」には上宮之厩戸豊聡耳命と記されています。

720年の「日本書紀」には厩戸皇子・豊耳聡聖徳・豊聡耳法大王・法主王・東宮聖徳と記されています。

 

聖徳太子の仕事

 

教科書から聖徳太子の記述が消えて厩戸王 や厩戸皇子の名称に変わっています。

聖徳太子は国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなどの業績があります。

中国の文化・制度を学び冠位十二階や十七条憲法を定めるなどの、天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を行いました。

また、厩戸王 (うまやどのおう)は仏教を取り入れて神道とともに厚く信仰して興隆につとめています。

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