4月13日決闘の日の由来

4月13日の決闘の日は、宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で決闘をしたことが由来となっています。

宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した巌流島は山口県の下関市にあります。

巖流島は下関市にある関門海峡に浮かぶ島(無人島)です。

巌流島の正式名は船島(ふなしま)です。

下関市彦島から約0.4kmの関門海峡内に位置する小島になります。

島全体は平らな地形で標高は海抜10m未満です。

巌流島(船島)は公園として2003年に人工海浜や多目的広場や遊歩道などが整備されました。

宮本武蔵と佐々木小次郎の銅像も建立されています。

船島は大半を三菱重工業が所有していましたが、現在は大部分が下関市に譲渡されています。

5月のゴールデンウィークに開催される「しものせき海峡まつり」が行われます。

「しものせき海峡まつり」の「巖流島フェスティバル」のイベントでは、コンサートや宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の再現などが行われます。

巌流島の宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の再現には多くの人で賑わいます。

 

次に、決闘の日や記念日の由来の紹介をします。

 

決闘の日

 

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4月13日の決闘の日の由来は、宮本武蔵と佐々木小次郎が行った巌流島(船島)での死闘になります。

巌流島の正式名は船島です。

山口県の下関市の関門海峡に浮かぶ小島です。

5月のゴールデンウィークには「しものせき海峡まつり」の巌流島フェステバルイベントで巌流島の決闘の再現が行われます。

巌流島(船島)への交通アクセスは下関港(唐戸桟橋)と北九州港(門司港)からになります。

下関港~船島の北端の船着場・門司港~船島の北端の船着場です。

関門汽船により船便の運航の他、彦島江の浦桟橋からのチャーター船なども運航されています。

 

宮本武蔵と佐々木小次郎

 

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4月19日の決闘の日の由来となった巌流島(船島)の死闘の主役は宮本武蔵と佐々木小次郎になります。

宮本 武蔵は1584年(天正12年)頃を生誕とする江戸時代初期の剣術家・兵法家・芸術家になります。

宮本武蔵の剣法で二刀を用います。

現代にも伝わっている二刀を用いる二天一流の開祖になります。

宮本武蔵は重要文化財指定の水墨画や工芸品も残しています。

熊本県(元肥後藩)の島田美術館に宮本武蔵のいろいろが展示されています。

宮本武蔵と死闘をした佐々木小次郎は、1612年(慶長17年)頃を生誕とする、安土桃山時代から江戸時代初期の剣客になります。

号は岩流(巖流)と言われますが、名前についての詳細は不明な点も多い剣術家です。

宮本武蔵のライバルとした有名な剣豪の特徴は、物干し竿とも言われる身の丈ほどもある長刀を使った「燕返し」という技を得意としていることです。

巌流島では、宮本武蔵の二天一流と長刀を斬り下ろして瞬時に返して斬り上げる「燕返し」の決闘でした。

 

巌流島の観光情報

 

4月19日の決闘の日の由来となった巌流島(船島)の紹介をします。

巌流島(船島)の周囲は約1.6kmで面積は約10.3万m2です。

巌流島の見所は、巌流島文学碑・巌流島木碑・佐々木巌流之碑・展望広場に対峙する武蔵像・小次郎像・人工海浜・散策道などになります。

バーべキューサイト5基・テーブル・ベンチ3基もあります。

ゴールデンウィークには「しものせき海峡まつり」・「巌流島フェステバル」が行われます。

料金は往復渡航費込みで2000円程度です。