幽霊に足がないのは日本だけ?海外では足がある?
幽霊(ゆうれい)には足がないようですが、海外の幽霊には足があるのでしょうか。
日本の幽霊には足がないですが足がないのには理由があるのでしょうか。
幽霊とは、死んだ人が成仏できないで姿を現したものとされています。
死者の霊が現れたものを幽霊と呼ぶようです。
昔から幽霊は、何かを告知したり要求するために出現したり、怨恨による復讐や執着のために出現しているとされています。
幽霊には凄惨なイメージが強い場合もあります。
凄惨な最期の姿を留めて出没する戦死者の亡霊の話では、平家武者の亡霊が有名ですね。
幽霊の多くは、非業の死やこの世に思いを残して死んだ者の霊なので、望みや思いを真摯に聴いてやって執着を解消すれば姿を消すと言われています。
仏教的には、このような状態になった幽霊のことは「成仏した」と称するようです。
幽霊の話があるのは日本だけではありません。
西洋でも、(日本同様に)人間の肉体が死んでも魂が死なずに現世でうろついたりしている話があります。
家宝を守ったり、現世への未練から現世にとどまったりする話なども多くあります。
霊が他人や動物にのりうつることもあるといわれています。
幽霊の話は、洋の東西を問わず世界に広くあります。
中世ヨーロッパや中国の書物には、陸域だけでなく水域にもいるとする記述があります。
次に、幽霊のこと・幽霊に足が無い理由・海外の幽霊、などの紹介をします。
幽霊のこと
幽霊の昔話には、「子育て幽霊」・「幽霊女房」・「幽霊松」などがあります。
日本は海に囲まれている国なので「船幽霊」などの海の幽霊の話も多くあります。
室町時代以降は、幽霊は歌謡や歌舞伎のテーマとしても扱われるようになったようです。
江戸時代後期の国学者・津村淙庵は、7月13日には必ず難破船の船乗りの幽霊が、相模国にある灯明台に参集したと語っています。
出会った時には幽霊と気づかないでも、実はすでに亡くなった人であったと後になって気づくという話も昔からあります。
伝承される文化・芸術としての幽霊もあります。
江戸時代以前から怪談という形で伝承されています。
江戸時代には、大流行した「雨月物語」・「牡丹燈籠」・「四谷怪談」などの名作が創られています。
幽霊は講談・落語だけでなく、草双紙・水墨画・浮世絵などでも盛んに描かれています。
7月26日は「幽霊の日」です。
「幽霊の日」は、文政8年6月11日(1825年7月26日)に、江戸の芝居小屋「中村座」で「東海道四谷怪談」が初公演されたことに因んでいます。
次に、幽霊に足が無い理由・海外の幽霊、などの紹介をします。
幽霊に足がないのは?
幽霊には足がないですが、どうしてでしょうか?
日本の幽霊は、古くは生前の姿で現れることになっていました。
江戸時代頃になると、納棺時の死人の姿で出現したことにされることが多くなりました。
額には三角の白紙の額烏帽子(ぬかえぼし)を着けて、白装束をまとっているとされることが多いですね。
幽霊に足がない理由には諸説あります。
・仏壇に炊いたお香の煙で足が見えない説
・地獄絵図で足を切られた絵があるので、そこから派生した説、などいろいろです。
幽霊に足がない説には後付け要素が強い説もあるようです。
幽霊に足がない理由で最も有力なのは、「足のない幽霊の絵が売れたから」という説のようです。
売れた幽霊の絵は、 江戸時代の丸山応挙という画家が描いた「幽霊絵画」です。
「幽霊絵画」は、多くの日本人が一度は目にしたことがあると思われます。
「幽霊絵画」の特徴は、「半透明の不気味さ」と「足がない美しい女性」です。
眺めていると背筋がゾクッとくる怖さがある「幽霊絵画」は、当時の日本人に衝撃を与えたようです。
「幽霊絵画」には、欧米のホラーには見られない心理的な怖さを感じさせます。
次に、海外の幽霊の紹介をします。
海外の幽霊
江戸時代の丸山応挙が描いた「幽霊絵画」には足がありません。
日本の幽霊には足がないことが多いですが、海外の幽霊にも足がないのでしょうか。
海外の幽霊には足はあるようです。
西洋の幽霊は、英語表記では「ghost(ゴースト)」や「phantom(ファントム)」になります。
フランス語では「ファントーム」などと言うようです。
海外の幽霊は、死者の魂が現世に未練や遺恨があるので、現世に残って生前の姿で可視化したものと考えられています。
海外も日本と同じで、希望を実現しないまま死んだ人や、責任を果たしきれないままに死んだ人などが幽霊になって出ると考えられているようです。