てるてるぼうずの性別、モデル、由来
てるてる坊主を、子供の頃につくったことがある人も多いのではないでしょうか。
雨の日が続く梅雨の時期や、楽しい遠足やお出かけの前の日には「てるてる坊主」を軒先に吊り下げますね。
幼稚園や保育園に通園していた頃に、「てるてる坊主」の童謡を歌ったことがある人も多いのではないでしょうか。
てるてる坊主の漢字表記は「照る照る坊主」になるようです。
てるてる坊主は、「照る照る法師」・「照れ照れ坊主」・「日和坊主(ひよりぼうず)」などとも呼ばれる日本の風習です。
「てるてる坊主」は、翌日の晴天を願う人形です。
翌日の晴天を願って、白い布や紙で作った人形を軒先に吊るします。
日本で「てるてる坊主」を飾ったのは江戸中期頃だと考えられています。
江戸時代頃の人形は、折り紙のように折って作られていたようです。
江戸時代の「てるてる坊主」は、現代よりも人間に近い形をしたとされています。
折り紙のように折って作った「てるてる坊主」を、半分に切ったり、逆さに吊るしたりして祈願していました。
19世紀の初めころの「嬉遊笑覧」という書物には、晴天になった後は、瞳を書き入れて神酒を供えて川に流すと記されています。
江戸時代の文献には、「てり雛」・「てり法師」・「てりてり坊主」・「てるてる」・「てるてる法師」・「てるてる坊主」・「てれてれ法師」など、いろいろな呼び方で記されているようです。
次に、てるてる坊主の由来・てるてる坊主のモデル・てるてる坊主の性別・「掃晴娘」の伝説・てるてる坊主の童謡などの紹介をします。
てるてるの由来
「てるてる坊主~てる坊主~あした天気にしておくれ」と、翌日の晴天をお願いした人も多いのではないでしょうか。
童謡にもある「てるてる坊主」は、翌日の晴天をお願いする大切な人形です。
子供の頃からお世話になっている「てるてる坊主」の由来や、「てるてる坊主」のモデルが気になりませんか。
子供の頃に「てるてる坊主」は、男の子か女の子か性別が気になったことはありませんか。
「てるてる坊主」の由来は、中国に伝わる人形のようです。
中国に伝わる「てるてる坊主」のモデルとされている人形は女性です。
「てるてる坊主」の性別は女性だったのですね。
「掃晴娘(サオチンニャン)」と呼ばれる女性の人形が、「てるてる坊主」のモデルと考えられています。
昔の中国には、ホウキを抱えている「掃晴娘(サオチンニャン)」の人形を軒先に吊るすと晴れるという風習がありました。
現代の中国では、「掃晴娘(サオチンニャン)」の人形を軒先に吊るすという風習は廃れています。
現代の中国では「掃晴娘(サオチンニャン)」という人形を知っている人も少ないとされています。
「掃晴娘」の伝説
「てるてる坊主」の由来は中国からきています。
「てるてる坊主」のモデルは、「掃晴娘(サオチンニャン)」という人形です。
「てるてる坊主」のモデルになった人形の性別は女性です。
「掃晴娘(サオチンニャン)」の人形の伝説を紹介します。
昔々の中国のお話です。
北京に、とても美しくて頭の良い「晴娘(チンニャン)」という娘がいました。
美しくて頭が良い「晴娘(チンニャン)」は手先も器用で、切り紙が得意だったようです。
「晴娘」の切り紙は街中でも評判が良かったようです。
ある年に、北京を襲った大雨が止まなくて人々が困っていた時に「晴娘」が祈りを捧げました。
天から聞こえた声は、「晴娘よ、東海龍王(中国の神様)の妃(嫁)となれ。さもなくば北京を水没させる」というものでした。
「晴娘」は街を大雨から助けるために、自らを犠牲にしてその要求を承諾したとされています。
これ以来、雨が続く時期になるとホウキを持った女の子の切り紙人形を軒先に吊るすのが風習となったとされています。
てるてる坊主の童謡
「てるてる坊主」の由来は中国で、「てるてる坊主」のモデルは「掃晴娘」です。
「てるてる坊主」のモデルとなった人形の性別は女性です。
「てるてる坊主」の童謡の作詞・作曲は、「浅原鏡村」と「中山晋平」です。
浅原鏡村(浅原六朗)が作詞し中山晋平が作曲した「てるてる坊主」という童謡は、教科書にも掲載されていました。
1921年(大正10年)に「少女の友」で発表されました。
「てるてる坊主」の歌は、最初に発表されたときには4番まであったようです。
戦後から1960年までのレコード売上は15万枚に達したとされています。