箱根駅伝の歴史、由来。なぜ関東の大学だけ参加ができるの?

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箱根駅伝の歴史や由来を知らなければ、箱根駅伝に出場しているのがなぜ関東の大学だけなのかは分かりませんね。

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の出場校は20校になります。

20校とは別に出場校以外の競技者による関東学生連合チーム(オープン参加)が参加します。

5年ごとの記念大会では関東インカレ成績枠という出場枠が設けられています。

コースは、東京都千代田区大手町・読売新聞東京本社ビル前から芦ノ湖までの往復で、往路107.5km・復路109.6kmになります。

1月2日に東京から箱根への往路・1月3日に箱根から東京への復路を走ります。

箱根駅伝は、関東学連が主催する地方大会です。

10位以内に入ると、同じ年の全国大会で駅伝シーズンの開幕を告げる出雲全日本大学選抜駅伝競走に関東代表として出場できます。

出雲駅伝・全日本大学駅伝・箱根駅伝は「大学三大駅伝」と呼ばれています。

 

次に、箱根駅伝の歴史・由来や箱根駅伝がなぜ関東の大学だけ出場するのかなどの紹介をします。

 

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箱根駅伝

 

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箱根駅伝の歴史と由来を知らなければ、箱根駅伝がなぜ関東の大学だけで行われているのかが分かりません。

箱根駅伝の正式名称は、東京箱根間往復大学駅伝競走(とうきょうはこねかんおうふくだいがくえきでんきょうそう)になります。

東京箱根間往復大学駅伝競走は、毎年1月2日と1月3日の2日間に行われます。

東京箱根間往復大学駅伝競走・通称「箱根駅伝」は、1月の2~3日に行われる大学駅伝の地方競技会になります。

東京箱根間往復大学駅伝競走は、関東学生陸上競技連盟が主催して読売新聞社が共催しています。

箱根駅伝の実施は、関東学生陸上競技連盟が定める「東京箱根間往復大学駅伝競走に関する内規」に定められています。

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は、現在開催されている駅伝の中では3番目に長い距離になります。

年始の人気番組になっている箱根駅伝のテレビ中継は1987年から始まっています。

テレビ中継によって国内の学生スポーツ競技会の中でも極めて高い人気になりました。

「箱根駅伝」という名称は、読売新聞東京本社が登録商標を取得しています。

 

箱根駅伝の歴史と由来

 

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箱根駅伝の歴史と由来を紹介します。

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)が誕生したのは、大正9年(1920年)になります。

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)ができたのは、マラソンの父として知られる金栗四三らが「世界に通用するランナーを育成したい」との思いでした。

マラソンの父と言われる金栗四三は、日本が初参加した明治45年(1912年)のストックホルム五輪にマラソン代表として出場して途中棄権した経験があります。

大正6年(1917年)に、日本で初めての駅伝となる「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が、京都三条大橋と東京・上野不忍池間で行われています。

京都~東京間の516kmを23区間に分けて、三日間・昼夜兼行で走り継ぐ壮大なたすきリレーだったようです。

京都三条大橋と東京・上野不忍池間の「東海道駅伝」が、箱根駅伝の原型になったとされています。

第1回大会は「四大校駅伝競走」の名称で行われました。

参加校は、早大・慶大・明大・東京高師(現筑波大)の四校になります。

箱根駅伝の歴史・由来を知ると、箱根駅伝がなぜ関東の大学だけで行われるのかがわかります。

 

なぜ関東の大学だけ?

 

箱根駅伝の正式名称は東京箱根間往復大学駅伝競走です。

箱根駅伝の始まりの歴史や由来を調べると、マラソンの父として知られる金栗四三らが「世界に通用するランナーを育成したい」との思いで始まった「東海道駅伝」や「四大校駅伝競走」が始まりのようです。

箱根駅伝にはなぜ関東の大学だけしか出場できないかをまとめると、

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は、関東学生陸上競技連盟が主催しているからです。

東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)は、「東京箱根間往復大学駅伝競走に関する内規」に定められています。

箱根駅伝は地方競技会なので関東学生陸上競技連盟への参加校が出場します。


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