神嘗祭と新嘗祭の違い。神嘗祭の一期一振とは

神嘗祭と新嘗祭は、宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)になります。

宮中祭祀は、天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的におこなう祭祀になります。

皇居宮中三殿で行われる祭祀には大祭と小祭があります。

天皇が自ら祭典を斎行し、御告文を奏上するのが「大祭」です。

掌典長(掌典職)らが祭典を行い、天皇が御拝するのが「小祭」です。

日本国憲法やその下の法律に宮中祭祀についての明文の規定はありません。

現在の宮中祭祀は皇室祭祀令に基づいて行われています。

宮中祭祀の予算は皇室の内廷費によって処理されています。

制度としての宮中祭祀が確立して以降の天皇では、明治天皇や大正天皇はあまり熱心ではなく、侍従らが代拝するのが主であったようです。

貞明皇后・昭和天皇・香淳皇后は非常に熱心であったとされています。

上皇と上皇后も祭祀にはきわめて熱心だとされています。

 

次に、神嘗祭と新嘗祭の違い・神嘗祭の一期一振、などの紹介をします。

 

神嘗祭

 

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神嘗祭と新嘗祭の違いを分かるために「神嘗祭」の概要を紹介します。

宮中祭祀のひとつの神嘗祭の読みは、「かんなめさい」・「かんなめのまつり」・「かんにえのまつり」になります。

「神嘗」は、「神の饗(あえ)」が変化したと言われています。

「饗え」は食べ物でもてなす意味になります。

また、饗は新殻を意味する贄(にえ)が転じたとする説もあります。

神嘗祭は、天皇が自ら祭典を斎行し御告文を奏上する大祭です。

五穀豊穣の感謝祭にあたり、宮中および神宮(伊勢神宮)で儀式が行われます。

神嘗祭は祝祭日の一つで、秋の季語にもなっています。

神嘗祭は、天皇が新穀を神前で自ら食す宮中祭祀「新嘗祭」から約1ヶ月先んじて、伊勢神宮の祭祀として行われています。

元来は新嘗祭から約2か月先んじる祭祀ですが、明治12年(1879年)以降、神嘗祭が月遅れを採用していることから、神嘗祭と新嘗祭の間隔が約1ヶ月縮んでいます。

次に、新嘗祭のこと・神嘗祭の一期一振の紹介をします。

 

新嘗祭

 

神嘗祭と新嘗祭の違いを分かるために「新嘗祭」の概要を紹介します。

新嘗祭の読みは「にいなめさい」・「にいなめのまつり」・「しんじょうさい」になります。

新嘗祭は宮中祭祀のひとつです。新嘗祭は祝祭日の一つでもあります。

11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に供えて、自らもこれを食べて、その年の収穫に感謝する(収穫祭)とともに神の御霊を身に体して生命を養います。

新嘗祭は、宮中三殿の近くにある神嘉殿で執り行われます。

天皇が即位の礼の後に初めて行う新嘗祭を特に「大嘗祭」といいます。

「新嘗」(にいなめ)の語源については諸説あります。

古語では、「ニヒナヘ」・「ニハナヒ」などと呼んだようです。

新嘗祭の前日に綾綺殿で鎮魂祭が行われます。

鎮魂祭には新嘗祭に臨む天皇の霊を強化するという意義があるとされています。

新嘗祭当日は、14時に宮中三殿で「新嘗祭賢所・皇霊殿・神殿の儀」が行われます。

この儀式では、天皇に代わり掌典職が宮中三殿に神饌と幣帛を捧げ代拝を行います。

午後に掌典長以下が神嘉殿内の母屋に神座、寝座、御座の奉安を行います。

夜には、「神嘉殿の儀」が行われます。

次に、神嘗祭の一期一振の紹介をします。

 

神嘗祭の一期一振

 

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神嘗祭と新嘗祭の違いは、神嘗祭は天皇が自ら祭典を斎行し御告文を奏上する大祭で、新嘗祭は、天皇が新穀を神前で自ら食す宮中祭祀になります。

神嘗祭の際に使用される御由緒物を一期一振と呼びます。

「一期一振」の読みは「いちごひとふり」です。

「一期一振」は、粟田口吉光作の日本刀になります。

粟田口吉光は、鎌倉時代中期の山城国で活躍した刀工です。

粟田口吉光作の日本刀は、正宗や郷義弘とともに名物三作として古来から珍重されています。

「一期一振」は、享保名物帳消失之部に記載される名物で、宮内庁では御物番号28「山城国吉光御太刀」と整理されています。

御由緒物として取り扱われる一期一振は、相州行光の太刀とともに毎年10月17日に実施される宮中での神嘗祭の際に使用されています。

御由緒物の刀剣の多くは宮中祭祀などで役割を担っています。