鎖国の表現が教科書から消えた?!別の表現に

鎖国という記述が教科書から消えたようです。

40代以上の人は小学校や中学校で鎖国のことを教わったのではないでしょうか。

最近は昔小学校や中学校で学んだことが変更されています。

時々は小学校・中学校の歴史教科書を見て最近の実証研究の結果を確認した方が良さそうです。

教科書から消えたのは鎖国だけではありません、士農工商や仁徳天皇陵・足利尊氏の肖像・大化の改新の年号・聖徳太子の呼称・西郷隆盛の版画・鎌倉幕府成立の年号・源頼朝の肖像なども変更されているようです。

士農工商は、1990年代頃からの実証研究により身分制度ではないと考えられています。

教科書に記述されていた「仁徳天皇陵」は「大仙陵古墳(大山古墳)に変更されています。

「足利尊氏」の騎馬武者の肖像は「騎馬武者像」という記述に変更されています。

645年と学んだ「大化の改新」の年号は646年に変更されています。

「聖徳太子」の呼称は生前にはなかったことが分かりました。

生前の呼称は「厩戸皇子または厩戸王」に変更されています。

「西郷隆盛」の肖像画も変更されています。

「西郷隆盛」の版画は西郷の親戚を参考にして想像で描写してあるようです。

“イイクニ”で学んだ「鎌倉幕府成立」の年号は1192年から1185年に変更されました。

現在の語呂合わせは「イイクニ」→「イイハコ」になっています。

今まで信じていた「源頼朝」の肖像は「伝源頼朝像」に変更されていました。

 

次に、鎖国のことや記述変更の教科書について紹介します。

 

鎖国とは

 

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鎖国という記述は教科書から消えています。

鎖国とは、江戸幕府が外交に関する権利を独占した対外政策です。

日本人の出入国及び貿易を管理・統制・制限した孤立状態の日本国の状態になります。

鎖国でも日本が実際には孤立していることはありません。

朝鮮王朝(朝鮮国)・琉球王国とは通信関係がありました。

中国及びオランダとの間に通商関係はありました。

一般的には鎖国はオランダとの貿易が主に考えられますが、実際の貿易額はオランダは中国の半分程度でした。

 

2020年度の学習指導要領

 

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昭和の時代にはあった鎖国が教科書から消えているようです。

一般的な鎖国は1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から始まりました。

鎖国が終了したのは1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までになります。

以上のことから鎖国期間は1639年~1854年になります。

「鎖国」という用語が使われだしたのは明治以降になります。

近年は鎖国という制度はなかったとする見方が主流になっています。

2020年度から使用される学習指導要領の改定案には鎖国という制度はなかったという見方が反映されています。

 

鎖国と教科書

 

鎖国という用語は、オランダ通詞の志筑忠雄(しづき・ただお)がケンペルの「日本誌」を翻訳したときにつくり出した用語です。

40代以上の年代の人が昭和時代に学んだ教科書にはペリー来航事件について次のように記述されています。

“幕府は鎖国を理由にこれを断り、沿岸の防備をきびしくした”となっていました。

平成の現在の教科書の記述では“通信関係を持つ朝鮮・琉球、通商関係をもつオランダ・中国以外の国とは交渉をしないのが祖法であるとして通商の要請を断った”となっています。

その他教科書に記載されなくなった表現

聖徳太子の肖像画が教科書から消えた理由
士農工商が教科書に記載されなくなった理由